長崎原爆資料館 

2007年9月16日訪問

 路面電車を浜口町で降り、坂を上ると長崎原爆資料館がある。
 かつて、長崎国際文化会館のワンフロアが原爆資料展示室として開設され、拡充された後、1996年に長崎原爆資料館が建設された。

       

 来館者が捧げた、様々な工夫のこらされた折り鶴が飾られた玄関ホールを抜け、スロープを回って地下の入り口に下りてゆく。

       

 被爆前の長崎が写真で手短に語られた後、被爆した長崎の街が原寸大のジオラマで再現される。
 建物やマリア像は再現されているが、被爆者の姿はない。

          

 暗いジオラマを通り抜けると原爆投下までの経過や原爆による被害の展示がある。
 その後、救援活動や永井隆博士の展示、被爆者の訴えがあった後、戦争への道の展示になる。そして、現代の核状況の展示。長崎という街の歴史と原爆とをつなぐ記述はない。

          

 全体にコンパクトに収まっている。それはよいが、インパクトがあまり感じられないのはなぜだろう。長崎は記録写真が広島より豊富で、語りかける素材は多いはずだが、なぜか通り一遍の感じを受ける。
 かつて国際文化会館の一室で、白黒写真と遺物が淡々と並べられていた。素朴だが本物の持つ迫力があったあの展示とどこが違うのだろう。音声ガイド機はあるのだが、概括的な説明にとどまり、音声によって想像力をかきたてる力はない。
 首をかしげながら、出口近くのミュージアムショップに行く。書籍の品揃えはよいが、館の公式ガイドブック類が品切れであった。
 「怒りのヒロシマ 祈りのナガサキ」という表現がある。浦上という信仰の歴史を持つ土地柄があるとはいえ、被爆を受難としてのみとらえれば、その受難にいかに対処するかを求めることになる。それは被爆を受け入れてしまうことになりはしないか。そうではなく、そんな受難が二度とないようにすることを求めるべきであろう。平和のために祈るだけでなく、平和のために行動するということ。それに明確につながる展示姿勢が必要ではないかと感じた。


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